2012年 10月 21日
ぼくの芝居放浪記 歌舞伎の「型」について④ |
志野葉太郎さんの『歌舞伎 型の伝承』や渡辺保さんの『歌舞伎 型の魅
力』を読んでいて残念に思うこと。それは、同じ演目でもいろいろな型が
ある(「あった」と言うべきなのかもしれませんが)にもかかわらず、今では
誰がやっても同じ型で演じられることが多くなってしまったことです。
たとえば、「忠臣蔵」五段目と六段目の勘平の型には、菊五郎型、宗十
郎型、團蔵型などがあると書きましたが、その他にも、上方系のものとし
て延若(えんじゃく)型や鴈治郎型などがあるそうです。
しかし、東京の劇場で上演する場合は、ほとんどが菊五郎型か、それを
少し変えた羽左衛門型ばかりで、宗十郎型や團蔵型というものは見たこ
とがありません。
東京の劇場でしか歌舞伎を見たことがないので仕方がないのかもしれま
せんが、上方の型も、今の坂田藤十郎さんが鴈治郎だったときに、国立
劇場で演じた鴈治郎型を一度見たことがあるだけで、延若型は見たこと
がありません。
また「熊谷陣屋」の熊谷は、九代目市川團十郎が團十郎型を完成させて
からは、芝翫型で演じられることはまれになりました。
戦前では五代目中村歌右衛門と六代目大谷友右衛門、そして二代目松
緑が熊谷を初役で演じるときに芝翫型を教えてもらったという中村竹三郎
だけ。
戦後は2003年2月に中村橋之助さんが芝翫型で演じるまでは、二代目
松緑ただひとり。その二代目松緑も芝翫型で演じたのは初役のときの一
度きりで、その後は團十郎型で演じたとのことです。
(『松緑芸話』には「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の芸談も収
録されていて、「熊谷陣屋」の熊谷の芝翫型と團十郎型の違いについて
も少し触れています。実際に芝翫型と團十郎型の両方の型で演じた貴重
な経験にもとづくものなので、その型の違いを知るための参考になります。)
(⑤へ続く)
力』を読んでいて残念に思うこと。それは、同じ演目でもいろいろな型が
ある(「あった」と言うべきなのかもしれませんが)にもかかわらず、今では
誰がやっても同じ型で演じられることが多くなってしまったことです。
たとえば、「忠臣蔵」五段目と六段目の勘平の型には、菊五郎型、宗十
郎型、團蔵型などがあると書きましたが、その他にも、上方系のものとし
て延若(えんじゃく)型や鴈治郎型などがあるそうです。
しかし、東京の劇場で上演する場合は、ほとんどが菊五郎型か、それを
少し変えた羽左衛門型ばかりで、宗十郎型や團蔵型というものは見たこ
とがありません。
東京の劇場でしか歌舞伎を見たことがないので仕方がないのかもしれま
せんが、上方の型も、今の坂田藤十郎さんが鴈治郎だったときに、国立
劇場で演じた鴈治郎型を一度見たことがあるだけで、延若型は見たこと
がありません。
また「熊谷陣屋」の熊谷は、九代目市川團十郎が團十郎型を完成させて
からは、芝翫型で演じられることはまれになりました。
戦前では五代目中村歌右衛門と六代目大谷友右衛門、そして二代目松
緑が熊谷を初役で演じるときに芝翫型を教えてもらったという中村竹三郎
だけ。
戦後は2003年2月に中村橋之助さんが芝翫型で演じるまでは、二代目
松緑ただひとり。その二代目松緑も芝翫型で演じたのは初役のときの一
度きりで、その後は團十郎型で演じたとのことです。
(『松緑芸話』には「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の芸談も収
録されていて、「熊谷陣屋」の熊谷の芝翫型と團十郎型の違いについて
も少し触れています。実際に芝翫型と團十郎型の両方の型で演じた貴重
な経験にもとづくものなので、その型の違いを知るための参考になります。)
(⑤へ続く)
by hiro_ngth_92
| 2012-10-21 16:29
| 歌舞伎と文楽