2011年 10月 16日
ぼくの芝居放浪記 歌舞伎編その1 歌舞伎座へ初めて行った日① |
ふと歌舞伎を観てみようと思い、初めて劇場で歌舞伎を観たのが
平成6年12月なので、それから、もう少しで17年になります。
それから歌舞伎座や国立劇場などで歌舞伎を観てきましたが、
「こんなお芝居、観たんだ!?」と、すっかり忘れてしまっているものも
多いのですが、不思議なもので、初めて観たお芝居はいまだに覚えています。
平成6年12月の歌舞伎座の昼の部を観に行きました。演目はといえば、
猿之助一門の若手による「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」の
「義賢最期(よしかたさいご)」一幕、玉三郎の「娘道成寺」、そして
猿之助と勘九郎(現勘三郎)の「上州土産百両首(じょうしゅうみやげ
ひゃくりょうくび)」という三本立てでした。
歌舞伎座は通常の月は昼の部と夜の部の二部制なのですが、
どうして昼の部に行ったのかというと、昼の部と夜の部、
合わせて六本の演目だったのですが知っているのが昼の部の
「娘道成寺」しかなかったからという単純な理由なんですね。
その月の夜の部は菊五郎、猿之助、玉三郎、
勘九郎、そして福助という人気役者の顔合わせ
による「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」一幕、
猿之助と玉三郎、勘九郎よる「鬼揃紅葉狩
(おにぞろいもみじがり)」、そして最後が
菊五郎劇団による「芝浜」の三本立て。
今となっては猿之助の松王丸、勘九郎の源蔵、
菊五郎の千代、福助の戸波なんていう配役での
「寺子屋」は観ておけばよかったと思いますが、
その当時は「「寺子屋」って何?」っていうぐらいの
知識しかなかったんですよね。
(②へ続く)
平成6年12月なので、それから、もう少しで17年になります。
それから歌舞伎座や国立劇場などで歌舞伎を観てきましたが、
「こんなお芝居、観たんだ!?」と、すっかり忘れてしまっているものも
多いのですが、不思議なもので、初めて観たお芝居はいまだに覚えています。
平成6年12月の歌舞伎座の昼の部を観に行きました。演目はといえば、
猿之助一門の若手による「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」の
「義賢最期(よしかたさいご)」一幕、玉三郎の「娘道成寺」、そして
猿之助と勘九郎(現勘三郎)の「上州土産百両首(じょうしゅうみやげ
ひゃくりょうくび)」という三本立てでした。
歌舞伎座は通常の月は昼の部と夜の部の二部制なのですが、
どうして昼の部に行ったのかというと、昼の部と夜の部、
合わせて六本の演目だったのですが知っているのが昼の部の
「娘道成寺」しかなかったからという単純な理由なんですね。
その月の夜の部は菊五郎、猿之助、玉三郎、
勘九郎、そして福助という人気役者の顔合わせ
による「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」一幕、
猿之助と玉三郎、勘九郎よる「鬼揃紅葉狩
(おにぞろいもみじがり)」、そして最後が
菊五郎劇団による「芝浜」の三本立て。
今となっては猿之助の松王丸、勘九郎の源蔵、
菊五郎の千代、福助の戸波なんていう配役での
「寺子屋」は観ておけばよかったと思いますが、
その当時は「「寺子屋」って何?」っていうぐらいの
知識しかなかったんですよね。
(②へ続く)
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by hiro_ngth_92
| 2011-10-16 17:15
| 歌舞伎と文楽