2012年 04月 10日
ぼくの芝居放浪記 文楽編その4 義太夫節を聴く④ |
安藤鶴夫は『文楽 芸と人』の中で、古靱太夫(山城少掾)は「音づか
いの名人」であり、「一字、一音に、微妙な、音のひびき、たゆたいが、
おのずと、ちりばめられ、また、ひとこと、ひとことに、じつにゆたかな、
音づかいがあった」と書いています。
さらに続けて、「音づかい、とは、ひとつひとつの音のなかに、その、そ
れぞれのシチュエーションにおける、情景、人間のこころをあらわすこ
とだと思われる」とも書いています。
この安藤鶴夫の説明で、なんとなく「音遣い」というものがわかったよう
な感じがしました。
そして「音遣いに秀でている」というのは、義太夫節を語るだけで、それ
を聴いている人に、その浄瑠璃の場面や情景、登場人物の感情などを、
はっきりと伝えることのできる力を持っている、ということなのかな、と思
いました。
たしかに山城少掾の義太夫節を聴いていると、なんとなく浄瑠璃の場面
や情景が浮かんでくるような気がします。
(⑤へ続く)
いの名人」であり、「一字、一音に、微妙な、音のひびき、たゆたいが、
おのずと、ちりばめられ、また、ひとこと、ひとことに、じつにゆたかな、
音づかいがあった」と書いています。
さらに続けて、「音づかい、とは、ひとつひとつの音のなかに、その、そ
れぞれのシチュエーションにおける、情景、人間のこころをあらわすこ
とだと思われる」とも書いています。
この安藤鶴夫の説明で、なんとなく「音遣い」というものがわかったよう
な感じがしました。
そして「音遣いに秀でている」というのは、義太夫節を語るだけで、それ
を聴いている人に、その浄瑠璃の場面や情景、登場人物の感情などを、
はっきりと伝えることのできる力を持っている、ということなのかな、と思
いました。
たしかに山城少掾の義太夫節を聴いていると、なんとなく浄瑠璃の場面
や情景が浮かんでくるような気がします。
(⑤へ続く)
by hiro_ngth_92
| 2012-04-10 18:25
| 歌舞伎と文楽