2012年 12月 05日
ぼくの芝居放浪記 中村勘三郎さんのこと |
今朝、朝食の支度をしていると、いつものラジオのアナウンサーが、「中
村勘三郎さんが亡くなりました」と言ったように聞こえました。最初は聞き
間違いかと思ったのですが、間違いではありませんでした。
ことし6月に食道がんが見つかり7月に手術を受けたことや、少し前の週
刊誌に手術後の経過があまり思わしくないとの記事が出ていたことは知
っていましたが、突然の訃報に驚くとともに、とても残念です。
以前のブログで書きましたが、ぼくがはじめて歌舞伎座で見た芝居のひ
とつが、平成6年12月の三代目市川猿之助さんと勘三郎(当時五代目
勘九郎)さんの「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」で
した。
当時、勘三郎さんはもうすぐ40歳という年齢で、花形・若手役者から中
堅の働き盛りの役者へ立場が変わっていくところだったと思うのですが、
そのころから歌舞伎役者の中で一、二を争う人気者でした。
芸域の広い人でしたから、印象に残る役はたくさんありますが、「白波五
人男」の弁天小僧菊之助や「助六」の白酒売新兵衛実は曽我十郎、それ
に「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」の猿源氏など、愛嬌があっ
て、舞台に出てくるだけで見ている人が楽しくなる。そんな役者さんでした。
八月恒例となった納涼歌舞伎、渋谷のシアターコクーンでのコクーン歌
舞伎、それに平成中村座といった公演で、あまり歌舞伎に縁のなかった
人に歌舞伎の面白さを伝え、歌舞伎ファンを増やしたことも、勘三郎さん
の貴重な業績だったと思います。
来年4月に開場する新しい歌舞伎座で勘三郎さんの姿を見れないことは、
本当に残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
------------------------------------------------------------------
12月9日の日本経済新聞に、野田秀樹さんが追悼文を寄稿しています。
劇作家であり、勘三郎さんと親交の深かった野田秀樹さんらしい、とても
素晴らしい文章であり、そして心のこもった追悼文です。
一読をおすすめします。
(12月9日追記)
村勘三郎さんが亡くなりました」と言ったように聞こえました。最初は聞き
間違いかと思ったのですが、間違いではありませんでした。
ことし6月に食道がんが見つかり7月に手術を受けたことや、少し前の週
刊誌に手術後の経過があまり思わしくないとの記事が出ていたことは知
っていましたが、突然の訃報に驚くとともに、とても残念です。
以前のブログで書きましたが、ぼくがはじめて歌舞伎座で見た芝居のひ
とつが、平成6年12月の三代目市川猿之助さんと勘三郎(当時五代目
勘九郎)さんの「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」で
した。
当時、勘三郎さんはもうすぐ40歳という年齢で、花形・若手役者から中
堅の働き盛りの役者へ立場が変わっていくところだったと思うのですが、
そのころから歌舞伎役者の中で一、二を争う人気者でした。
芸域の広い人でしたから、印象に残る役はたくさんありますが、「白波五
人男」の弁天小僧菊之助や「助六」の白酒売新兵衛実は曽我十郎、それ
に「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」の猿源氏など、愛嬌があっ
て、舞台に出てくるだけで見ている人が楽しくなる。そんな役者さんでした。
八月恒例となった納涼歌舞伎、渋谷のシアターコクーンでのコクーン歌
舞伎、それに平成中村座といった公演で、あまり歌舞伎に縁のなかった
人に歌舞伎の面白さを伝え、歌舞伎ファンを増やしたことも、勘三郎さん
の貴重な業績だったと思います。
来年4月に開場する新しい歌舞伎座で勘三郎さんの姿を見れないことは、
本当に残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
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12月9日の日本経済新聞に、野田秀樹さんが追悼文を寄稿しています。
劇作家であり、勘三郎さんと親交の深かった野田秀樹さんらしい、とても
素晴らしい文章であり、そして心のこもった追悼文です。
一読をおすすめします。
(12月9日追記)
by hiro_ngth_92
| 2012-12-05 18:03
| 歌舞伎と文楽